Q.さっそくですが、中村(妙)先生の講座でのご担当は?
理論と実技を担当しています。
学期によって理論が多かったり実技ばかりだったり比重は違いますが、土日が中心です。
Q.プライベートのことで恐縮ですがオフは何をしていますか?趣味、特技、好きなこととかあれば教えてください。
うちにいる暇な人(夫)と出かけたり、カフェにこもって本を読んだりしています。
昔は体を動かすことが好きだったし、今は必要に迫られて動かすべきなのですが、
ジムもやめてしまったので出かけるときはできるだけ歩くようにしています。
夫と一緒の時はショッピングモールや映画に行くことが多いですね。
Q. トップ写真に選んだ「わたしの1枚」についてお聞かせください。
クウェートに行ったときのトイレの写真です。
全長1kmはあろうかというショッピングモールの一角に、高級ブランド街があり、
そこはトイレからして豪華絢爛!
何も買わないのに、息子が「あのきれいなトイレに行きたい!」と言って、
ずいぶん歩いたのを思い出します。
Q.そんな中村(妙)先生さんの「これまで」について自伝的に熱く語ってください!
私は、私の年代の日本語教師としては「珍しい人」とよく言われるのですが、
当時できて間もない日本語教師養成課程を持つ数少ない大学の一つに、
日本語教師を目指して入学しました。
当時、日本語教師という仕事の何かをよく知っていたわけではなく、
そのころどっぷりはまっていた歴史小説の影響で中華4000年の歴史へのあこがれとか、
日本以外の異文化への興味みたいなものに引っ張られていたように思います。
結局中国へは行っていないんですが(苦笑)。
大学時代は勉強しない学生で、アルバイトばかりしていました。
お金がなかったんです、本当に。
それに、勉強すればするほど、日本語教師にはなってはいけないな、と思うようになっていきました。
当時、日本語学校は法的な規制もなく、
今でいうブラック企業の典型みたいなところが雨後の筍みたいにできていた時期で、
さらに歴史的に見てどう考えても日本語教師は「搾取する側の人」じゃんと思ってしまって。
日本語教師以外にやりたいことはないんだけれど、日本語教師になったら私は「搾取する側の人」になってしまう、
というジレンマで就職活動する気もなれず、とにかく大学院へ進むことにしました。
本当は海外に行ってみたい気持ちもあったのですが、その時は親に泣かれてしまい…
大学で勉強していなかったことも理由の一つです。
とにかく勉強しないことには、何か一つでも自分のものにしなければ何もできない、という気持ちでした。
大学院は楽しかったですね。
生まれて初めてあんなに必死に勉強したと思います。
私が進んだコースは「地域研究」というコースで、日本語教育だけでなく、
さまざまな地域のさまざまな分野を専門とする人たちが集まった、とてもユニークなところでした。
日本語教育は地域研究の中の日本研究の一分野、という位置づけ。
考え方やモノの見方がまったく違う人がいつもそばにいて、刺激的でした。
また、大学そのものが多様な地域から留学生を受け入れているところで、
学食にはすべての肌の色の人がいて、いろいろな言語が飛び交い、
視覚障碍者も車いすの人も普通にそこにいて、
ついでに厨房にはインド人のお姉さんや中国人の同級生などが一緒に働いているという環境でした。
30年近く前(歳がばれる)に、すでに現在より多様性に満ちた世界の中に生きていました。
大学院で学ぶ中で、日本語教師という仕事に対する自分の意識も少しずつ変わってきて、
修了後はタイへ渡り3年間大学の日本語コースでお世話になりました。
そのとき、私が言い出しっぺで教科書を作ったのですが、
ちょうど半年ほど前、私が教えていた大学の先生(日本人)から
「中村妙子さんって、あの教科書を作った人ですか?」ってSNSで呼びかけられてびっくり!!
もう20数年も前の話です。
今もあの教科書、本棚にありますよって聞いて、何だかじんわりと感じるものがありました。
今のように教科書や参考書が豊富にない中、日本人とタイ人の教師が協力して作ったものですから。
それから日本に戻って社会的な氷河期と個人的な氷河期の間、
大学の留学生別科や日本語学校を転々としながら現在に至ります。
その間、プライベートレッスンや特定技能もちょこちょこやっています。
あ、名前について、一つ。日本語教育業界には、知る人ぞ知る「中村妙子」先生がいらっしゃいます。
私の恩師の恩師世代で、時々身元調査(?)が入るんです、「あの」レジェンド「中村妙子」か?と。
レジェンドじゃない方の、「その辺にいるただの中村妙子です」とお答えしています。
養成講座の講師としてもまだまだペーペーの初任者です。
Q.日本語教育で興味のある分野とか専門とかってありますか?その魅力や面白さも教えてください。
大学院では日本語教育史(特に戦争時)について研究しました。
ですから、理論で日本語教育史を担当するときはちょっと熱くなる傾向があるらしいです(前受講生さん・談)。
現在の興味は学習者に対しては自律学習、教師に対しては教師オートノミー(自律)や協働で、
有志が集まって不定期でワークショップを開いたりしています。
日本語教育史は私自身がこの仕事に対して折り合うために必要なことだったので
「おもしろい」というのとは少し違ったのですが、
人とゆるくつながりながら考えたり企画したりするのはとても楽しいです。
「おもしろさ」や「楽しさ」はまず何より自律的、主体的でないと得られないものなんじゃないかな、と思っています。
Q.養成講座で印象に残っているエピソードとか、講座担当者として大事にしていることとか、教えてください。
養成講座では、受講生の皆さんに教えていただくことが多いです。
授業のアイディアはもちろん、さまざまな背景の方たちがいらっしゃるので、
全く知らない分野のこともお聞きできますし。
講座担当者として大事にしていることは、
とにかく皆さんに話していただく時間を最大限にすること。
人間関係や対話の中から意味が生まれ理解が深まると思っています。
Q.最後にこれから日本語教育を学んでいる方々、学ぼうとしている方々にメッセージをお願いします!
日本語教育に限らず、今までやってきたことは生かそうと思えば何にでも生かせると思いますが、
この仕事は本当に無駄なく何でも生かせると思います。
ものすごく個人的な経験とか趣味とかでも、それを共有できる人がいるんですよ、
学習者の中に。それってとってもすてきなことだと思いませんか?
一緒に学びの楽しさを体験できたらいいなと思っています!
お話、ありがとうございました!
カテゴリー: 講師・職員の横顔 | 2020.03.06